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○歴史

歴史

座光寺には1万年以上前から人が住み、各時代の史跡が数多く存在しています。南向きで日当たりもよく、温暖で災害も少なく、交通の利便性も高く、暮らしやすい豊かな地域であったことによります。
ここでは、地域を代表する歴史・文化資産について紹介します。

○古代

○高岡一号古墳(国史跡) たかおかいちごうこふん

高岡一号古墳(県史跡)01
高岡一号古墳(県史跡)02

飯伊地区最大級の前方後円墳(長さ72.3m、高さ6.3m)で、6世紀前半の築造と推定され、築造時の原型を良く残しています。石室の全面を朱で彩色したものと考えられ、壁面の一部に朱の痕が残っています。石室の構造が朝鮮半島の大邱地方の古墳に似ています。最近になって周溝があることが確認されました。出土品は多数あり、一部が麻績史料館に保管されています。

○畦地一号古墳(市史跡) あぜちいちごうこふん

畦地一号古墳(市史跡)

畦地古墳群6基のうち、現在残っているのはこれのみです。墳丘は東西15m、南北19.8mほどの円墳。石室構造は朝鮮系で6世紀前半の築造と推定されます。出土した銀製の垂れ飾り付き長銀式耳飾りは日本ではとても珍しく、朝鮮半島で多く発見されます。

○恒川官衙遺跡(国史跡) ごんがかんがいせき

恒川官衙遺跡(国史跡)01

・恒川遺跡は、奈良・平安時代に伊那郡(現在の下伊那郡~伊那市周辺)の役所(郡衙又は郡家)があった場所で、1982年(昭和57年)からの発掘調査によって、その姿がだんだんと明らかになってきています。
・郡衙は政治の中心で、人々の生活と結びついた多くの役割を果たす、とても重要な場所でした。また、都の最先端の文化が真っ先に入ってくる文化の中心地でもありました。近くには「座光寺」と言う地名のもとになった「寂光寺」というお寺もつくられています。郡衙では、前の時代に大きな古墳を造っていたような豪族たちがなった郡司と言う役人を先頭に、たくさんの職員が務めていました。多くの人々が集まる郡衙は、地域の中の「小さな都」と言えるかもしれません。
・この周辺は古墳時代から豪族たちの拠点となっていて、東国の玄関口にも位置し、陸や川の交通の上でも重要な場所だったことから、ここに伊那郡の「みやこ」がつくられたと考えられます。
・恒川遺跡の発掘では、税の稲などを納めた倉庫(正倉)や、役人や行き来する使者が泊まったり休んだりしたと思われる建物(厨)などがたくさん見つかっています。当時の農民達は、普段目にしないこうした大きな建物を、驚きながら見上げていたことでしょう。
・恒川遺跡では、硯・刀子(小刀)・帯(ベルト)の金具・木簡など、役員の仕事に関係あるものや、瓦・緑釉陶器(緑色の焼き物)・三彩陶器(三色の焼き物)・お金(和同開珎銀銭・富寿神宝)など当時としては珍しかった品々も見つかっています。最古のお金の富本銭もこの近くから見つかっています。これらのものからも、郡衙がこの地方で最も大切な場所であったことがわかります

恒川官衙遺跡(国史跡)02

○元善光寺(座光寺如来寺) もとぜんこうじ

元善光寺(座光寺如来寺)01
元善光寺(座光寺如来寺)02

・天台宗の寺院で、「元善光寺縁起」によると寺院の開創は飛鳥時代と伝えられています。麻績の里の住人・本田善光が、後に善光寺の本尊となる阿弥陀三尊を、飛鳥時代に難波(大阪市)から持ち帰った場所と言われ、古くは如来寺と呼ばれていました。
・天明8年(1788年)に火災があり、現在の建物はその後の再建です。宝物殿には「座光の臼」などの寺宝が収められ、境内には貞享年間の六字塔をはじめ多くの供養塔・念仏塔・歌碑・句碑・石灯籠などが安置され、信仰の篤さがうかがえます。

元善光寺ホームページ

○中世

○南本城城跡(県史跡) みなみほんじょうじょうせき

南本城城跡(県史跡)

・南本城は70mの比高をもつそそり立った段丘面の肩に設けられた山城です。城の規模は南北約500m、東西約350mの範囲で、東側に並木沢、西側に西の沢で区画され、尾根の中央に本曲輪が、周囲にはいく段も腰曲輪が続き、堀切・土塁・土橋で仕切られた小規模な北曲輪・西曲輪等が複雑に配備された城です。

○近世

○石川除(県史跡) いしかわよけ

・暴れ天竜に沿って住む人々にとって洪水は大きな脅威でした。上流の下市田に惣兵衛堤防(宝暦2年(1752年))、豊丘に護岸堤防(文化6年(1809年))ができてから、大水のたびに激流が大島渡に直進し、聖牛・蛇籠などでは新田を守りきれなくなりました。そこで村人が中心となって資金を出し合い、石積みの強固な堤防を、長さ128間5尺(約231m)に渡って天保2年(1831年)に完成させました。これが「石川除」です。
・これにより新田開発が進み、米が安定的に作られるようになりました。その後何回か修理がおこなわれましたが、飯田下伊那地方で現存する、江戸時代に建設された唯一の石川除です。
・現在は、外側に大きな堤防が築かれたために築造時の姿をそのままとどめ、当時の技術を垣間見ることができます。

石川除(市史跡)

○近代

○旧座光寺麻績学校校舎(通称:舞台校舎・県宝) おみがっこうこうしゃ

・明治6年(1873年)開校。昭和60年(1985年)県宝指定。現在残っている学校校舎としては県内最古です。1階は人形芝居や歌舞伎を行うための舞台、2階は学校校舎として使うために造られた建物です。当時の正面玄関は「麻績の里交流センター」の裏口に移築されています。
・観客は、舞台前の地面に陣取り、間近に観劇していました。

旧座光寺麻績学校校舎(通称:舞台校舎・県宝)

○現代

○竹田扇之助記念国際糸操り人形館 たけだせんのすけ

糸操り人形

301年の歴史を持つ竹田人形座の糸操り人形が展示されており、定期的に公演が行われています。
交流・学習活動のために設立された「竹の子座」を通じて後継者が育っています。

竹田人形館ホームページ

竹田扇之助記念国際糸操り人形館